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町中華

テレビ朝日の「ザワつく!金曜日」で、お客さんの注文は何でも作る中華料理店が紹介されていた。いわゆる「町中華」の話だ。
「町中華」とは戦後満州から引揚げてきた日本人の料理自慢が、日本人に合うようにアレンジした中国風料理のことだ。中華丼や天津飯などは日本発祥のメニューで餃子も焼餃子、本国で食べられている水餃子ではない。これらは中国料理ではなく“中華料理”と呼ばれた。
例外はあるものの「町中華」のルーツは明治27年の日清戦争(1894年)頃まで遡り、近代日本の中国大陸進出と無縁ではない。満洲国の建国(1931年)から1945年の敗戦まで、大勢の日本人が中国東北部に入植し敗戦で引揚げると共に、戦後の日本の食文化に大きな影響を与えたのだ。
仕事がなかった外地からの引揚者が、全国各地で見よう見まねの中国“風”料理店を始めたとしても不思議はない。その後永らく「町中華」は昭和を引きずる中国風料理店として、町で独自の地位を築いてきたのだ。経済成長まっしぐらの世のサラリーマンにとって、安くて美味しくてボリュームがあり、近所で気軽に通える第二の家庭料理のような存在だ。「町中華」には「おいしいに違いない」と思える安心感がある。
番組で取り上げた東京文京区にある「長崎 雲仙楼」は、1979年創業の第二世代「町中華」だ。お客さんが注文すればたとえメニューになくても、それが中華料理ですらなくても作ってくれるという。今では400種を超えるメニューを持つ「町中華」の王様だ。
現在の事業者数が分かる統計はないが、「町中華」全盛期(1970~80年代)と比べ数は減っているものの、創業30年以下の店はほとんどない。ただ店主の多くが二代目60~70歳代で閉店の危機に瀕している。
一方で「町中華」という言葉が最近では1つの食ジャンルとして認知され、サンヨー食品からは「THE町中華」シリーズとして名店の味を再現したカップ麺が出た。冠番組やWebサイトも存在するなど、ラーメン屋でもない独立したジャンルを確立しているのだ。
『夕陽に赤い町中華』などの著書を持ち、研究グループ「町中華探検隊」の隊長も務める北尾トロが唱えるのが「町中華=ライブハウス理論」だ。 「厨房がステージで、カウンターはアリーナ。客は厨房内で繰り広げられるパフォーマンスを楽しむサポーター」だとか??
個性的だからこそ引き継ぐことが難しい「町中華」は、日本の中国大陸進出の裏面史のようなものなのか。経済成長の失われた30年が「町中華」にレトロな爛熟期?をもたらしている。

| 22.10.14

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