コモン・ロー
安倍晋三元首相は戦後最長の政権を率いてその名を憲政史上に残したが、元自衛官に旧統一教会との癒着を理由に狙撃され儚くも命を落とした。現代日本で起こったとは俄かに信じられない事件であったが、死後その葬儀においてもまた国を二分することとなった。
岸田政権は7月22日の閣議決定で、安倍元首相の葬儀を「国において」行うとしたが、9月8日の国会審議で「国民に強要することでない限り、法律は必要ないとの学説?」に基づき、「内閣の行政権の範囲で閣議決定のみで実施できる」と独自の珍解釈を主張。吉田茂の時に三権の承認を取り付けたことを無視し、「少なくとも主権者である国民の代表の国会が関わるべき」とした衆院法制局の主張すら聞かなかった。
国葬を「国葬儀」と言おうが言うまいが、全ての混乱を招き内閣支持率を下げた原因は、国民のコンセンサスを得ずに強行突破を図ったことにあろう。明らかに現内閣には英国でいう「コモン・ロー」(慣習法)的な合意への敬意が不足している。
折も折、9月19日に英国君主エリザベス女王が史上最長70年の在位の後逝去、世界は安倍国葬の1週間前に本物の“国葬”を見せつけられることになる。女王の国葬にあたるのは日本では“大喪の礼”なので混同はできないが、内閣にとって正に想定外の出来事だったであろう。
英国では明文化せずとも「コモン・ロー」により国葬の対象となるのは原則国王だけとしている。国王以外を国葬にするには国会の議決を必須とする。直近では1965年のチャーチル元首相(保守党)だが、当時女王の指示を受けた労働党のウィルソン首相が議会に提案し議会が全会一致で可決、国民は納得した。
英国に見せつけられたのは実はエリザベス女王の国葬自体ではなく、独立した国家が自立した民意を作り出す「コモン・ロー」の存在だったと言える。
ところで国民的コンセンサスとはどのように形成されるのだろうか?安倍晋三は生前次のように言っている。「個人の自由を担保しているのは国家の安定だ。それらの機能が他国の支配等によって停止させられれば、天賦の権利が制限される」「国民が守るべきものは、国家の独立。つまり国家の主権であり平和である。具体的には、生命と財産、そして自由と人権だ」と。彼自身は潜在的に「コモン・ロー」の存在を理解していたのだ。
日本が真に独立した国家であれば、「コモン・ロー」に敬意を払うはずだ。岸田首相の国民的コンセンサスへのガン無視は、実は日本が“独立国家ではない”ことを彼独自の手法で示唆したのだろうか。手法で示唆したのだろうか。
| 22.09.30