ファラオの行進
エジプトの首都カイロで4月3日、古代エジプトのファラオのミイラ22体が古い考古学博物館(Egyptian Museum)から新しい国立エジプト文明博物館(National Museum of Egyptian Civilization)まで、その完成に合わせて市内7キロを移送された。パレードは壮麗かつ威厳に満ちて美しいものだったようだ。
正式には「ファラオの黄金の行進(Pharaohs' Golden Parade)」と名付けられ、王18人、女王4人のミイラが古代エジプト風の装飾を施した車両で1体ずつ時代の古い順に行進した。
車列の先頭は紀元前16世紀中頃にエジプト南部を治めたセケンエンラー2世(Seqenenre Tao II)、最後尾は紀元前1109年に亡くなったラムセス9世(Ramses IX)だ。在位が67年に及んだラムセス2世(Ramses II)や、最強の女王と呼ばれるハトシェプスト(Hatshepsut)のミイラも含まれる。
今回移送されたミイラは全て国宝で、テーベ(現ルクソール)の「王家の谷」で発掘されたものばかりだ。新たに建設されたエジプト文明博物館の「ミイラの間」で最新技術を使って展示され、訪問客は正に「王家の谷」に迷い込んだような体験ができるらしい。
ミイラの展示は他の宝物の展示とは異なりデリケート、それは3500年前に生きたファラオの肉体そのものだからだ。ファラオのミイラが作られるようになったのは古王国時代(紀元前2500年頃)からだ。復活を願うのは支配者も同じ、その強い思いが肉体の保存という手段を究極まで高めたのだ。
世界の多くの宗教や文化圏では遺体を博物館で白日の元にさらすことは侮辱的な行為だとみなされているが、古代エジプトの死生観からすると、ファラオのミイラは人前に現れることで復活を果たしているとも考えられる。
ファラオたちはミイラになって生き続け、その存在を示しながらパレードし、最新技術で展示されて復活しているのだ。これがそのまま新しい「ミイラの間」の展示コンセプトなのだろう。
今回のパレートを前にエジプトでは大事故が続発した。3月23日にスエズ運河で世界最大級のコンテナ船が座礁、27日にはエジプト中部で列車の衝突事故が起き、同じ日にカイロ近郊では高層ビルの倒壊により多くの死傷者が出た。エジプト考古学の権威ザヒ・ハワス博士は「ファラオの呪いなど存在しないし、事故とは関係ない」と呪い説を一蹴したが、そのことばを信じる人は少ない。
近年、欧州の代表的博物館は略奪博物館と呼ばれ、かつての植民地から持ち出した発掘品の返還をめぐる議論の渦中にある。特に大英博物館は世界中から持ち帰った文物をただ並べて分類し博物学的興味だけで展示している、と評判が悪い。
旧宗主国は、展示物の持つ文明史的背景が伝えられないのであれば、コレクションを元の国に返還すべき時が来たと悟るべきだろう。
| 21.04.16