ミセス
学校法人文化学園「文化出版局」が発行し一世を風靡した総合ライフスタイル誌『ミセス』が、2021年3月5日発売の4月号をもって休刊するという。
日本が高度成長期に入った1961年に創刊され、当時既婚女性向けに婦人4誌と呼ばれていた『主婦の友』『婦人倶楽部』『主婦と生活』『婦人生活』が月間合計500万部近くを売っていたところに割って入った雑誌だ。
『ミセス』は70年頃には月間発行部数60万部を超え、日本で初めて広告収入が販売収入を上回った化け物雑誌、当時の広告収入は月4億円と言われる。
当初違和感のあった『ミセス』というネーミングも、まもなく既婚女性を指す一般名詞となり、山の手の高級かつ上品なファッションや、美容、食、インテリア、旅を中心とした紙面はセンスの良さが溢れた。それまで消費行動に消極的だった“主婦”が、 独自の感性を持った“ミセス”として消費の表舞台に登場したのだ。
ところで女性蔑視とも取れる発言で東京五輪組織委員会会長を辞任した森喜朗も、『ミセス』最盛期の1969年に時を同じくして衆議院議員に当選。83年に第2次中曽根内閣で文部大臣に就任して以降、党3役をはじめ主要大臣を歴任し一気に出世街道を駆け上がっていく。彼が選挙で必死に取り込もうと努めた女性像は、まさに『ミセス』の読者層そのものだった。
2000年4月に小渕恵三の緊急入院の後を受けて総理となるも、密室で不透明に選ばれたことが災いし、皮肉にも“ミセス”な?女性票を失い首相として短命に終わってしまった。
当選から50年、不完全燃焼の森喜朗がオリンピック・パラリンピック東京大会の組織委員会会長としてイメージしていた女性像は、彼が追い求めていた往年の“ミセス”だったのではないだろうか。現代のジェンダーフリーな価値観を理解できるはずもなかった。
米国のファーストレディーとなったジル・バイデンは、フルタイムの仕事を持つ初のファーストレディーとして登場し呼び名も「ドクター・バイデン」に固執した。ニューヨーク・タイムズは、「ドクター・バイデンは教職を続ける道を選ぶことで慣例を破棄し、長年続いてきたファーストレディーの概念を変えるだろう」と報じている。
こうした時代背景が『ミセス』を廃刊に追い込んだと考えると、森喜朗の失脚も納得がいく。オリンピックも1964年とは目指すものが全く違ってしまっているのだ。
2021年『ミセス』と共に廃刊になる政治家はまだまだ出てきそうである。
| 21.02.19