鳥獣戯画
7月14日の開幕を予定していた東京国立博物館の特別展「国宝 鳥獣戯画のすべて」が、新型コロナの三密対策により2021年春に延期となった。
今回はこれまでの展覧会では実現し得なかった京都・高山寺に伝わる国宝《鳥獣戯画》4巻の全場面を一挙公開するとともに、かつてこの4巻から分かれた断簡5幅と、原本ではすでに失われた場面を残す模本の数々を展示する予定だったので、延期は残念だ。
平安後期から鎌倉前期にかけて制作された鳥獣人物戯画は高山寺に伝わるものの、だれがどんな目的で描いたのか、何を表そうとしたのかは未だ判然としていないという。
お祭りの行列、宴会の準備、相撲、おしゃべりや追いかけっこなど、いつも人間たちがやっていることをさまざまな動物たちを擬人化して表現したことで、よけいに人間っぽく見せている。特に有名な甲巻は、うさぎや猫たちが画面の中を縦横無尽に駆け回り遊び尽くすという斬新にしてとてもモダンな内容で、1000年近くも前に描かれたとは信じ難いものだ。
高山寺の中興の祖であり実質的な開基とされるのは、鎌倉時代の華厳宗の僧、明恵房高弁(1173-1232)である。明惠が9歳で仏門に入った1180年代の京都は、凄まじい飢饉の真っ只中。鳥獣人物戯画が描かれた平安末期から鎌倉初期は、日本の歴史上最も自然災害が集中した時期でもあった。
1096年の永長大地震、1098年の康和大地震と続き、400もの社寺が流失、大極殿も損害を受けた。1177年の安元の大火事では京都の三分の一が消失し大極殿も消失。1180・81年の養和の大飢饉での餓死者は多数に上った。1185年の元暦大地震は近畿に大被害をもたらし、1230・31年の寛喜の大飢饉ではなんと人口の3分の1が餓死したとされている。
今世紀、地震と津波による原発事故、それに続くコロナ禍、そして未曾有の大雨と河川の氾濫が続く現代の景色はこれと重なるものがある。今ここに地震でも起ころうものなら、正に1000年前の地獄絵図になるかもしれない。
1212年に書かれた『方丈記』(鴨長明)には平安時代の災害の記録がある。要約するなら、まず地震、そして火災、飢餓、辻風(竜巻)と続く、とある。
芥川龍之介が描いた羅生門の舞台も、正に飢餓で人口が半減した平安末期の京都だ。
固定概念を打ち破る自由な発想で描かれた鳥獣戯画は、究極の状況にあっても楽しかった生活を忘れず復興の力にしようという明惠の思いから、擬人化は悲惨な現実から目をそらし人々に勇気と希望を与えるための明惠の知恵だったのではないだろうか。
災害の直中の鳥獣人物戯画、実は何気ない日常の大切さを教えているのかもしれない。
| 20.07.10