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洗肺(シーフェイ)
新型コロナウィルスが猛威を振るう前、中国から日本への観光客はインバウンド全体の約3割を占め、消費額は約4割を占めていた。
中国人が日本で買う製品の人気トップ3に常に「空気清浄機」が入っていたことも懐かしい。実は日本観光のモチベーションに、「洗肺(シーフェイ)」という中国人独特の意識がある。コロナ禍が長引く今、彼らの「洗肺」禁断症状が高まってきている。
今世紀に入り中国経済は爆発的に拡大、PM2.5をはじめとする大気汚染が大きな社会問題となった。北京、上海、広州、武漢などあらゆる大都市で、きれいな空気を吸うことを意味する「洗肺」ということばが一般化し、そのためにはいくらでもお金を払うという富裕層が生じた。
今回中国はいち早く新型コロナウィルスの封じ込めに成功したとして各都市のロックダウンを解除し、経済活動再開を強くアピールしている。そして富裕層からは、いつになったら日本へ「洗肺」に行けるのか?という問い合わせが相次いでいると聞く。
考えてみるに、有史以来中国は常にユーラシア大陸の文明の中心であり経済大国であった。20世期には共産党政権の成立で史上初めて困窮する庶民生活にスポットが当った。それを見た世界が中国を貧しい国だと勘違いしたが、歴史的事実は全く違う。常に激しい民族闘争に明け暮れた中国には経済的貧富の差が産まれ、結果、富裕層が溢れる国となったのだ。
後漢が滅び、7世紀に隋により再び中国が統一されるまでの五胡十六国の戦乱は日本の古墳時代に当るが、朝鮮半島も激しい勢力争いで安寧の地とは言えなかった。統一に敗れた中国・朝鮮の群雄は、荒れる東シナ海や日本海を渡って玄界灘から穏やかな瀬戸内に逃げ込んで来た。天皇家の先祖もその一つだったかも知れない。
当時、日本を癒しの国だと思っても無理はなかったであろう。秦の始皇帝の命を受けて不老長寿の薬を探しに出た徐福も、最終的には日本へと辿り着き安堵したとされている。
それから2千年を経た現在、中国は国家統一の大儀のもとに公権力によって人民の表現の自由を奪うストレスが高い国である。
それに比べるまでもなく日本は穏やかな国だ。コンビニでは未だに現金が使え、清潔なタクシーや温水の出る便座に出会う。澄んだ緩い空気と新鮮な食材に中国人が癒しを感じても不思議はない。激しい競争にさらされる世界から「逃げてくる場所」としては最適だと言えよう。
今も昔も、中国人にとって日本は穏やかなソフトパワーを感じる「洗肺」の国である。「洗肺」の値段はもっと高くても良いのではないだろうか。
| 20.07.31
東京直結鉄道
2020年7月5日(日)の東京都知事選挙は現職の小池百合子候補が再選を果たし、辞任?しない限り引き続き4年間にわたって都政を担うこととなった。
都知事が果たしていない1期目の公約「7つのゼロ」は、ウイズコロナのニューノーマルが追い風になり大半が解決しそうだ。頭が痛いのは時間がかかるインフラ系の公約だろう。豊洲再開発に伴う地下鉄8号線の延伸「東京直結鉄道」や、首都直下型地震に備えた「都道無電柱化」だ。
地下鉄8号線の延伸は江東区の悲願だ。小池都知事就任前から実現に向けて各所に働きかけてきた。有楽町線を豊洲駅から分岐して、東西線の東陽町駅から半蔵門線の住吉駅までを延伸する計画だ。
2000年以降の都心回帰や、築地市場移転などの再開発要因も相まって、豊洲駅一帯は著しく人口が増加した。しかし豊洲~住吉間の江東区内だけでも総事業費1500億円以上と言われ、決して軽くない。
新型コロナウイルスの感染拡大が続いた時期にもかかわらず、5月1日時点の東京都全体の人口推計は初めて1400万人を突破。一極集中が続く東京だが、アフターコロナのリモートワークの普及などを想定すると「東京直結鉄道」の利用者数増加は見込めそうにない。
現在、世界的に見ても東京ほど電車が便利な都市はないだろう。東京の鉄道網は(江東区は不満だろうが)既に移動手段として完成している。世界では便利さを通り越して “迷宮”だと言われるほどである。セキュリティが弱い上に、外人や初めての利用者にとっては分かりにくいカオスなのだ。
朝日新聞が行った「便利すぎる?社会の行方」と題するアンケートによると、「いま以上に便利さを享受するのと引き換えに、あなた自身が失うものはあると思うか?」の問いに90%の人が「ある」と答えている。
明治維新以降「西洋的便利さと快適」を求めてガムシャラに働いてきた日本人に冷水を浴びせたのは、他でもない今回のコロナウイルスだ。「便利」さよりも「安全」と「生活の質」の向上を都民は意識し始めている。
ウイズコロナ時代の江東区、そして東京都の「安全と生活の質」とは何か?ゼロメートル地帯の災害救助体制がない限り江東区の将来はないし、首都直下型地震がかなりの確率で迫っている現在、8号線の延伸にかけるお金があったら電柱の地中化がより重要だろう。しかも景観が美しくなる。
ウイズコロナと5G時代の到来は人間の移動と集合を最小限にする社会を示唆し、「東京直結鉄道」や「リニア新幹線」は完成前に時代遅れになってしまったと言えよう。
| 20.07.17
鳥獣戯画
7月14日の開幕を予定していた東京国立博物館の特別展「国宝 鳥獣戯画のすべて」が、新型コロナの三密対策により2021年春に延期となった。
今回はこれまでの展覧会では実現し得なかった京都・高山寺に伝わる国宝《鳥獣戯画》4巻の全場面を一挙公開するとともに、かつてこの4巻から分かれた断簡5幅と、原本ではすでに失われた場面を残す模本の数々を展示する予定だったので、延期は残念だ。
平安後期から鎌倉前期にかけて制作された鳥獣人物戯画は高山寺に伝わるものの、だれがどんな目的で描いたのか、何を表そうとしたのかは未だ判然としていないという。
お祭りの行列、宴会の準備、相撲、おしゃべりや追いかけっこなど、いつも人間たちがやっていることをさまざまな動物たちを擬人化して表現したことで、よけいに人間っぽく見せている。特に有名な甲巻は、うさぎや猫たちが画面の中を縦横無尽に駆け回り遊び尽くすという斬新にしてとてもモダンな内容で、1000年近くも前に描かれたとは信じ難いものだ。
高山寺の中興の祖であり実質的な開基とされるのは、鎌倉時代の華厳宗の僧、明恵房高弁(1173-1232)である。明惠が9歳で仏門に入った1180年代の京都は、凄まじい飢饉の真っ只中。鳥獣人物戯画が描かれた平安末期から鎌倉初期は、日本の歴史上最も自然災害が集中した時期でもあった。
1096年の永長大地震、1098年の康和大地震と続き、400もの社寺が流失、大極殿も損害を受けた。1177年の安元の大火事では京都の三分の一が消失し大極殿も消失。1180・81年の養和の大飢饉での餓死者は多数に上った。1185年の元暦大地震は近畿に大被害をもたらし、1230・31年の寛喜の大飢饉ではなんと人口の3分の1が餓死したとされている。
今世紀、地震と津波による原発事故、それに続くコロナ禍、そして未曾有の大雨と河川の氾濫が続く現代の景色はこれと重なるものがある。今ここに地震でも起ころうものなら、正に1000年前の地獄絵図になるかもしれない。
1212年に書かれた『方丈記』(鴨長明)には平安時代の災害の記録がある。要約するなら、まず地震、そして火災、飢餓、辻風(竜巻)と続く、とある。
芥川龍之介が描いた羅生門の舞台も、正に飢餓で人口が半減した平安末期の京都だ。
固定概念を打ち破る自由な発想で描かれた鳥獣戯画は、究極の状況にあっても楽しかった生活を忘れず復興の力にしようという明惠の思いから、擬人化は悲惨な現実から目をそらし人々に勇気と希望を与えるための明惠の知恵だったのではないだろうか。
災害の直中の鳥獣人物戯画、実は何気ない日常の大切さを教えているのかもしれない。
| 20.07.10
ジーランディア
今年、ニュージーランドの研究機関GNSサイエンス(the Institute of Geological and Nuclear Sciences Limited)が、ニュージーランドとニューカレドニアを残して約2300万年前に海面下に没した8番目の大陸「ジーランディア(Zealandia)」をこれまでにない詳しさで地図にして話題になった。
「ジーランディア」を知ることは、約8500万年前から6000万年前にかけてオーストラリア大陸から離れたプレートが生物の進化と淘汰にどのような影響をもたらしたかを知ることでもあり、地震や火山活動の予測と防災に大きく寄与するだろう。
最近、世界的に自然災害が大型化して”想定外”の被害になっていると言われる。しかし地球史的に見れば過去に幾度も繰り返されたことであり、特段想定外なことではない。我々は未だにドロドロに溶けたマグマの上で活動している訳で、防災にはグローバル史観を持った教育が大切であると言われる所以である。
「ジーランディア」発表より前になるが、グローバル史観を軸に書かれたユヴァル・ノア・ハラリの著書「サピエンス全史」も2014年にヘブライ語から英訳されるやいなや世界的ベストセラーとなった。
約250万年前にアフリカでホモ(ヒト)属が進化すると、50万年前からはヨーロッパを中心にネアンデルタール人の進化が起こり、次いで東アフリカでホモ・サピエンスが進化を始める。1万3千年前までにネアンデルタール人やホモ・フローレシエンシスが絶滅していく中、ホモ・サピエンスは瞬く間に食物連鎖の頂点に立ち、現在に至る文明を築くことになる。
ハラリは全人類史をグローバル史観から俯瞰し、ホモ・サピエンスは何を望みそのテクノロジーは人類をどのような世界に導くのか、これから我々がたどるであろう未来までをもリアルに予言してみせている。
グローバル史観を持つと、植物光合成で酸素濃度が過剰となった地球が、如何にして酸素を消費して二酸化炭素を排出する生命体(動物)を生み出し、サピエンスが生き残ったかを理解することができる。
逆にグローバル史観の不足は、未来を予測する力に限界をもたらす。ハラリはホモ・サピエンスにまつわるスケールの大きい物語、いわゆるビッグピクチャーを描いた教育が必要だと説く。
例えば、太平洋プレートが北米プレート、ユーラシアプレート、フィリピンプレートと複雑に衝突する場所に位置する日本列島をビッグピクチャーで考察すると、プレートの衝突に伴うあらゆる自然災害に見舞われる運命にあることが容易に理解できる。
日本人がグローバル史観を持つべく教育されていたら、三陸海岸に高さ15メートルもの無粋な防波堤を建てただろうか?
| 20.07.03