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クリスマススルー
今年から12月23日は天皇誕生日ではなくなり、普通の日に戻った。その途端に街からクリスマスの雰囲気がフェードアウトし始めた。
平成を通じて休日だった12月23日は、「クリスマス・イブイブ」として街の活気を演出する日だったが、今年は日本がクリスマスの呪縛から急に解き放たれたかの如く、イブも静かな日として過ぎていった。
イブとクリスマスが火曜・水曜と、ともに平日なのは4年ぶりで23日も平日になり、“特別な日“感が消え、「クリスマススルー」する人が増えたようだ。東京都内の商店街にもクリスマス演出をしないほぼ通常営業のところが出てきた。
立川市の昭和記念公園は毎年クリスマスに盛大なイルミネーションが楽しめる人気スポットだったが、今年はなし。( https://tamap.tokyo/shouwakinenkouen-illumination/ ) 令和の変わり目に、秋の紅葉シーズンのライトアップだけにしたのだとか。
16世紀に伝来したキリスト教は、徳川幕府により厳しく禁止され地下に潜った。従って江戸時代の日本にクリスマスというものはなく、明治の開国後もキリスト教の禁止は続いていたため、仏教徒である一般庶民がクリスマスを祝う習慣は大正時代を待つことになる。
そして大正天皇が12月25日に崩御されたことから、昭和2年に先帝が亡くなられた「先帝祭」としてこの日が祭日になり、偶然日本の祝日に重なったことでクリスマスは一般に広まったとも言える。
日中戦争突入以降太平洋戦争終結時まで封印されたが、戦後は米国文化の乱入とともに賑やかなクリスマスが復活。更には百貨店の販促モチベーションが景気回復と共に肥大化し、バブル期まで狂乱が続いた。
平成になると、天皇誕生日(12月23日)が休日になったことをきっかけに「クリスマス・イブイブ」なる言葉が登場し、25日を待ちきれずに「イブイブ」と「イブ」が盛り上がる日本独自の年末恒例行事として、クリスマスは宗教を超越して存在して来た。
考えてみると日本のクリスマスはユダヤ教やキリスト教の教えに従うものではなく、天皇とキリストを重ね合わせてお祭りにしてしまうような日本人のいい加減さ?が根底にあった。
皮肉にも令和の「クリスマススルー」現象で、6世紀に中国・朝鮮を経て仏教が伝来した国であったことを再認識するのか。
そして今年の12月25日、中国成都において日中韓首脳会議が新時代へ向けて開かれたことは偶然ばかりでもなさそうだ。令和の日本には、真に自立した政治と文化への見識ある国となることが望まれる。
| 19.12.27
ジェンダーバランス
世界経済フォーラム(WEF)から、男女格差の大きさを国別に比較した「The Global Gender Gap Report 2019 」の発表があり、日本は調査対象となった世界153カ国のうち121位、主要7カ国(G7)では不名誉にも最下位だった。
過去最低だった2017年の114位(調査対象は144カ国)よりさらに下がり、早急な改善が望まれる。女性国会議員の比率が低いことや、最高学府の東京大学における女子学生比率が20%台であることなどに、国際社会から猛烈な改善圧力がかかっている。
ただこの結果については集計ミスもあるように思われる。順位の下降は教育分野が大きな引き下げ要因となっている。教育分野は今回91位(2018年は65位)で、中等教育への就学率は128位(同1位)まで転落。前年世界最高だった中等教育就学率が一年でここまで下がるのは異常値では?
しかし1975年、国連によって3月8日が「国際女性デー(International Women’s Day)」に定められてから半世紀近く、日本が女性の平等な社会参加の環境整備を十分に進めて来なかったのは事実であり、「ジェンダーバランス」に疎い国という謗りは免れない。
一方11月19日が「国際男性デー」( https://internationalmensday.com/ )となっていることは、日本ではあまり知られていない。これは男らしさの強要に苦しむ男性や男子の健康に目を向け、ジェンダーバイアス(男女平等)を正す日として、1999年にカリブ海のトリニダード・トバゴで始まっている。
今年、この日に合わせて、一般社団法人「Lean In Tokyo」が「男性が職場や家庭で感じる生きづらさに関する意識調査」を発表した。
これによると日本においては、「男だから」という固定概念やプレッシャーにより生きづらさや不便さを「感じる」と答えた男性は平均で51%にのぼる。
年齢別に見ると、20代から40代では生きづらさを「頻繁に感じる」「たまに感じる」と回答した人が5割を超えるが、50代以上では4割に、60代以上になると逆に、35%は「まったく感じない」との回答。日本の男性は、若い世代ほど「生きづらさ」を抱えていることが分かる。
最近の「イクメン」や「女性活躍」などジェンダーギャップを埋める取り組みが、女性ばかりをケアして若い男性の負担になっていることに社会は気づいていない。
日本では「男性差別」という言葉を聞くことはあまりないが、結構深刻だ。「男性の権力」によると思われていた差別は、実は単なる性役割という刷り込みに過ぎないものが多い。男性の心と体の負担に目を向け「ジェンダーバランス」をとることが、国際男性デーの目的である。
今や、女性差別解消を声高らかに言うだけでは「ジェンダーバランス」は正常化しない。
| 19.12.20
読解力
大学入試改革が騒動になっている中、OECDが『PISA(加盟国の学習到達度調査)』という世界79の国と地域の私立・公立に通う15歳生徒の読解力や、数学、科学の学力調査の結果を公表した。
中国やアジア各国が台頭する一方で、米国と日本の凋落という傾向が見えた。
米紙「ウォール・ストリート・ジャーナル」は、PISAは国の未来における経済競争力のバロメーターであるとしてアメリカの惨憺たる結果を憂い、「アメリカの10代は他国に追いつけない状態で、アジア諸国の後塵を拝している。」と自国の将来を危惧するコラムを掲載している。( https://gratefulamericanfoundation.com/us-students/ )
日本は「読解力Readingsが15位」、「数学Mathematics が6位」、「科学Science が5位」だった。主要紙は「読解力」のランキング低下を「急落」と騒ぎ立てている。
PISAで言うところの「読解力」は、「論文中の真意を読み取り、それに対する自分の意見を理論的にまとめ、発表する力」だそうで、単なる「理解力」にとどまらない。
米紙「ワシントン・ポスト」は、「中国がPISAでナンバーワン!中国のスコアが信じられない理由」という記事を掲載し、過去の同調査でも中国は試験を受ける地域や人を選別していると伝えている。これは的外れのやっかみなのか?
高度教育の浸透は地域の経済力によって影響を受ける。中国は世界第2位の経済大国とはいえ一人当たりGDPは未だに低い。全国平均のテスト結果では先進国に対抗できないため、裕福な都市に絞って戦略的にPISAを受けさせている。
中国は、共産党一党独裁の下、指導者を全国から平等に生み出すつもりはない。最初から選ばれた人々を対象にエリート教育をしている国だ。
建前上すべての子供にチャンスが与えられる自由主義諸国がこれに対抗するのであれば、全国押し並べてレベルを上げる努力をするしかない。
またシンガポールやマカオ、香港といった都市国家も上位に位置し、人口が一億人を超える日本や米国がこうした裕福な小都市国家に平均値で勝つためには、更なる相当な努力が必要とされる。
そうしたハンディキャップを勘案すると、日本のランキングは健闘している方だと言えよう。しかし大学入試でも問題になっている「理論的に自分の考えを述べる力」が、世界の指導者にとって最も重要な能力であることに変わりはない。
世界の政治・経済・文化・技術の場では個人の指導力が意味を持つのであって、集団の平均値ではないからだ。
日本の政治家が世界の舞台で個人として優れているとは言い難い現象が日々見られる中、真剣に「読解力」を磨かないと我が国に将来はない。
| 19.12.13
Ibasho
世界銀行と世界銀行防災グローバルファシリティ(GFDRR)が、国連防災世界会議に合わせて、岩手県大船渡市にある食堂「居場所ハウス」というコミュニティのユニークな取り組みを“Ibasho report” ( https://ibasho.org/wp-content/uploads/2014/04/140124Displacement-and-older-people.pdf )として紹介したところ、日本語の“Ibasho(居場所ハウス)“が世界的に注目を集めることとなった。
日本人もよく知らない “Ibasho report”、”Ibasho ”とはどんな取り組みなのだろうか。
大船渡市は2011年の東日本大震災でそれまで主な生業だった漁業が深刻な被害を受け、働き口を求めて多くの若者が町を離れた。そうした震災後の地域復興の拠点として、特に高齢者の暮らしをサポートする場所「居場所ハウス」がつくられたのだ。
これは、アメリカ在住の日本人女性・清田英巳氏の“Ibasho”という非営利組織の呼びかけに応えて、京都大学出身で大船渡に移住し、「まちと居場所」というフィールドワークを続けて来た田中康裕氏が、Ibasho Japan代表として運営に関わっているものだ。
高齢者が「お世話される弱い立場」という認識を変え、何歳になっても自分にできる役割を担いながら自分たちの知恵と経験を活かして支え合える身近な場所を、地域の人たちの手でつくっていこうという取り組みだという。
高齢者だけでなく、若い世代が仕事の途中でお昼を食べに寄ったり、Wi-Fi設備もあるので子どもたちが学校帰りや休みにゲームをしに来ることもあるようだ。誰にも強制されず自由にいつでも気軽に立ち寄って、お茶を飲んだり、おしゃべりしたり、本や雑誌を読んだりと各自が思い思いに過ごせる。自分のできることを持ち寄って力を発揮し、結果、世代を超えた自分なりの“Ibasho”になっていく。
先日来日したローマ教皇も、「日本の若者は、社会的に孤立している人が少なくない。いのちの意味が分からず、自分の存在の意味を見いだせず、社会からはみ出していると感じている。家庭、学校、共同体は、一人ひとりが支えを見いだし、また、他者を支える場であるべきなのに、利益と効率を追求する過剰な競争意識によって、ますます傷つき当惑し不安を感じている。過剰な要求や、平和と安定を奪う数々の不安によって打ちのめされている」と語っていた。
2000年に亘って民族、文化の融合が常に行われてきた日本は、今年の流行語大賞にも選ばれた「ワンチーム」という言葉が似合う国だ。
今後経済大国に返り咲く可能性は限りなく低いが、あらゆる種類の戦争、災害から逃げて来た人々を受け入れ支え合う“Ibasho” を提供する国を目指せる可能性は、極めて高いのではないだろうか。
| 19.12.06