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シャケン

日産自動車が、新車の工場出荷時の検査が無資格の検査員によって組織的に行われていた問題で謝罪した。
国土交通省はそれを受けて日産の全ての車の出荷を一時停止、工場出荷検査は1回目の「車検」に当たるとして、出荷3年以内の車をリコール扱いするように指導したようだ。
出荷時「車検」とは何なのか?国交省が監督官庁としてきちんと説明しないと、事態の本質は解りづらい。車検を受けずに走っていたと認定したのならば、リコールなどと呑気なことを言っていないで、1週間以内に車検場に持ち込まなければ走行停止にするぐらいの対応をすべきではないだろうか?どうにも曖昧な処分だ。
日産は6工場で生産している国内向け全車両の出荷・販売の停止、24車種121万台のリコールを決めたが、これは全て「国内向け」車両だ。国交省は同じ工場で生産されている輸出用には同様の検査を求めていないので、輸出はできるそうだ。日産では「自行程完結」体制が取られているため、国内向けだけの最終検査を誰がやろうが、国際基準の自工程途中検査で不具合があればそもそも生産しない、という自信が最終検査軽視に繋がった側面もあるのだろう。
国交省の対応を見ていると、国際基準を満たしていても、一度決めた”ルール”を守らないという意識を問題視しているようだ。
しかし戦後の自動車産業とは違い、日本車の品質は既に世界最高レベルである。この事件をきっかけに、国交省が実質不要な検査を押し付けない姿勢を見せれば大人の対応と言えよう。
先日閉幕した東京モーターショーで、日本の自動車メーカーは自動運転技術などでドイツ車に遅れを取りそうだと言われていたが、原因は日本の型式認証制度だと言う。ドイツでは新車開発の際にバーチャルシミュレーション(http://audilibrary.audiusa.com/innovations/innovations/hmi/index.html)で実験したデータが認められているのに、日本では認められていないというのだ。
今や精密機械と化した自動車はコンピューターの塊と言ってもいい。バーチャルな検査でないともはや対応できないことは世界の常識だ。それでも日本の認証制度はバーチャルな試験データを認めていない。
自動車産業という経済産業省の莫大な利権に国交省が車検制度という利権で食い込む、そんな醜い縄張り争いをしている場合ではない。
日本企業のグローバル化を行政が引っ張って行けたのは過去のこと。
国は後方支援に徹する時代だ。

| 17.11.24

上野三碑

国連教育科学文化機関(ユネスコ)の「世界の記憶」(Memory of the World)に、今年10月群馬県の古代石碑群「上野(こうずけ)三碑(さんぴ)」が登録された。「山上(やまのうえ)碑」(681年)、「多胡(たご)碑」(711年)、「金井沢(かないざわ)碑」(726年)の総称である。
そもそも「世界の記憶」とは、ユネスコが1992年から2年ごとに実施している登録事業であり、フランスの人権宣言や英国の大憲章(マグナ・カルタ)、アンネの日記、世界最古のコーランなど、2015年までに348件が登録されている。 日本からはこれまで慶長遣欧使節団資料や藤原道長の「御堂関白記」等5 件が登録されているが、その数は少なく一般にはあまり知られていない。
「上野三碑」は、7世紀前後に中国を起源とする政治制度、漢字文化、インドを起源とする仏教が、ユーラシア東端の地である日本に到達し、さらに都から遠く離れた東部の上野国に多数の渡来人の移動とともに伝来し、地元の人々に受容され広まっていったことを証明するもので、歴史的、文化的、社会的、政治的に、「世界の記憶」にふさわしい希有な価値があると云うのが登録の理由だ。
日本ではそれ以前にも、562年に新羅に滅ぼされた朝鮮半島南端の伽羅(伽耶)国から逃れた人々が日本列島に移って飛鳥時代の礎を築いている。「多胡碑」のある「多胡郡」などは胡人=渡来人がもたらした最先端技術のお陰で、織物、瓦、須恵器の生産が集積する当時のハイテク産業都市として栄えていた。
今年9月には、天皇・皇后両陛下が私的旅行として、7世紀に朝鮮半島から移り住んだ高句麗の王族、高麗王若光が祀られている埼玉県日高市の高麗神社を訪問している。天皇は、「日本には韓国(朝鮮とは言わなかった)から移住した人々や招へいされた人々によって、様々な文化や技術が伝えられました」と述べ、宮内庁楽部の楽師のなかに朝鮮半島からの移住者の子孫がいることにも触れられた。
飛鳥時代後期から奈良時代初期にかけては、唐と新羅の軍勢に破れた百済、高句麗からも大勢の渡来人が日本に逃れてきており、「上野三碑」登録をきっかけに教育の現場で正確に大陸との人の交流を教えていければ喜ばしい。そうすれば「世界の記憶」への登録には意味があったと言えそうだ。
司馬遼太郎が『街道をゆく』の中で、「日本民族はどこからきたのであろう」と問い、続いて「この列島の谷間でボウフラのように湧いて出たのではあるまい」と言っていたことを思い出す。
同感!

| 17.11.17

ヌ-ハラ

ハラスメントの種類がどんどん増える昨今、麺をズズズッとすすっておいしく食べたい人と、この音を不快に感じる人との間に生まれる「ヌードル・ハラスメント」、略して「ヌーハラ」が話題になっている。
そうした現象に日清食品がピント外れな対策を提案している。ズズズッという「麺すすり音」をエキサイティングな音に変えるというフォークだそうだ。トイレで音をカモフラージュする装置「音姫」にインスパイアされて誕生した、その名も「音彦」。このフォークさえあれば好きなだけ音を立てて華麗に麺をすすれるということのようだ・・・(https://www.youtube.com/watch?v=lxocP_Maj1Y&feature=youtu.be)
「音彦」は日清食品初のクラウドファンディング「PRODUCT X (プロダクト ペケ)」第一弾商品で、1個14,800円(税込)と安くない。日清食品グループのオンラインストアで予約が5000個集まったら販売されるという完全受注生産品だそうだが、何だか違和感がある。
日清食品は開発にあたり膨大な量の「麺すすり音」を収集。麺すすり音を感知した瞬間、近距離無線通信の信号をアプリケーションに送信。信号を検知してスマホから即座にカモフラージュ音が再生されるというしくみだ。そもそも日本人が麺を“ズルズル”とすする音が外国人には不快との仮定に立っているが、今やラーメンはすすって食べるのが“通”と外国人も考えているのではないだろうか。
確かに外国人に麺をすする音についてインタビューを行うと、「すごくうるさい」「不快でマナーが無い」という反応がある一方、「本国ではできないので日本で思いっきり音を立てて食べてみたい」という意見も出てきている。
更には日本には音を重視する文化があることをリスペクトする外国人もいる。静寂を旨とする茶の湯の世界でも「吸い切り」といって、出された茶を亭主の心づくしを頂くという意味を込め、最後にズーッと音を立て飲み干すマナーがある。そこに一切言葉は無く、阿吽の呼吸ともいうべき所作(動作)のみでコミュニケーションが図られていくのだ。亭主への「心遣い」を音に託すことで、茶会を共に創り上げていく文化である。
どの民族にも風土や環境にあった食文化があり、マナーがある。日清食品には、麺をすする音を自ら「ヌーハラ」などというのではなく、それに立ち向かい、日本の麺をすする音を世界に広めていくぐらいの心意気が必要なのでは?
創立者安藤百福氏の思いは、“麺喰い”を文化にまで昇華することにあったのではないだろうか?

| 17.11.10

リカオンのくしゃみ

第48回衆院選で自民党は得票率が過半数を下回る48%であったが、野党陣営の自滅と小選挙区制のメリットを最大限に生かし、単独でも国会を安定的に運営できる絶対安定多数(261)を上回り圧勝した。
選挙が終わると毎回必ず、選挙結果は本当に民意を反映しているのか?と疑問の声が上がってくる。しかし動物界で飼い犬の祖先とも言われる古代犬リカオンのくしゃみによる群れの意思決定方法を知ると、人間界の民意決定は複雑なあまり、結果リカオンにも劣るのではと考えてしまう(http://natgeo.nikkeibp.co.jp/atcl/news/17/090800342/?P=2)。
安倍首相は選挙結果について、「安定した政治基盤に立って政治を前に進めろという国民の声だと考えている。一つ一つ結果を出すことに全力を尽くしたい」と述べ、自民大勝で内閣は信任されたと言い換えたが、雰囲気は重苦しい。
このような結果の場合、リカオンなら狩りには行かないだろう。敵が待ち伏せている(再度国会で揉める内容を含んでいる)ことが分かっている狩りはしないからだ。もう一つ、群れの意思を上回る判断が存在することをリカオンは許さない。
安全保障上の“自律”国家ではない日本がいくら憲法を定めようが、これまでその解釈をアメリカの意思に添って既に何度も変えてきたことを、国民は知っている。リカオンの意思決定は唯一最高意思決定しかない。自分たちの意思で狩りに行かなければボスは責任を取れないからだ。それが生死を決めるのだから分かりやすい。
「平和憲法は日本の誇りだ」と教えられた記憶もあるが、国家の安全保障が自身の手にあるという条件付きだとは教えられなかった。しかしそれはリカオンでも知っていることだ。
安全保障を米国に依存する限り、日米地位協定と日米原子力協定が憲法を超えるものである限り、我々はリカオンにも劣る意思決定機構しか持たないことになる。二大政党政治の実現など遥か遠い。
安倍首相が悪いわけではないが、彼はリカオンのボスとは違い与えられた役割を演じないといけない不憫な存在なのだ。彼は我々の民意(選挙結果)がリカオンの群れの意思にも劣ることを知っているから暗いのだ。
フセイン元大統領も、ムバラク元大統領も、カダフィ大佐も、アサド大統領も元はアメリカが作り上げた傀儡である。近代史が如実に示すように、安全保障を独自に確立できていない政権は、あたかも合法的に作られたかのようでいて、最後は安全保障の主によって葬り去られるのだ。
せめてリカオンのくしゃみレベルの選挙をしたいものだ!

| 17.11.03

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