公人私人
アメリカ合衆国第45代大統領ドナルド・トランプの政権が始動し、米国史上初の共産圏(ウクライナ)出身のファーストレディとなったメラニア夫人にも熱い視線が注がれている。
特にメラニア夫人はファッションを、アメリカ人が今も熱愛するジャッキーことジャクリーン・ケネディの華麗なスタイルに似せているとの指摘が相次いでいる。丁度そのタイミングで、ジャッキーの知られざる姿にスポットを当てた『ジャッキー/ファーストレディ 最後の使命』
(http://jackie-movie.jp/)が公開され、偶然とはいえ“ファーストレディ”の役割が日米で同時に話題になっているのは興味深い。
映画では、1963年の衝撃的な大統領暗殺事件をめぐって、これまで語られることのなかった事件の真相やケネディ家の秘話が明かされる。また、34歳で未亡人となったジャッキーが悲しみに暮れる間もなく夫の大統領を伝説の人へと昇華させ、国葬をストイックに取り仕切って最後まで“ファーストレディ”の威厳を示し続けたカリスマ性ある姿が描かれている。
翻って日本では、「森友学園」問題で疑惑の渦中にいるアッキーこと安倍首相の昭恵夫人が自らの脇の甘さを露呈しながら、「公人か、私人か」を区別することで問題をやり過ごそうとしている姿に笑ってしまう。同行役人の費用負担をしようがしまいが、首相夫人が公の前に出たら公人であることは暗黙の了解である。
アメリカ合衆国憲法にも別段“ファーストレディ”の立場は明記されていない。つまり法律上の役職名ではなく、あくまでも大統領に「最初にアクセスできる人物」であるという事実を重んじてファーストレディなのだ。したがってその重要な役割は「公人である大統領と対をなす事」であり、実質的に「公人」であるという認識だ。
一方、日本で閣議決定した首相夫人の定義は、「内閣総理大臣の配偶者を指して一般的に用いられる呼称で、当該呼称を用いるに当たり、公務員としての発令を要するものではない」としている。そんな事は当然である。
然るに政府が「実態に即する解釈をしなくても問題なし」とする風潮はどこから来たのだろうか?
どうやら靖国参拝を私人として行えば問題なしとして来た歴代政治家の言い訳に端を発しているように思われる。
公用車で秘書を連れてモーニング姿でも、「私人として参拝した」と言うと私人で通ってしまう建前の国、日本。この国の言葉の不誠実さが首相夫人の責任をより曖昧にしている。
アッキーも本気で、『アッキー/ファーストレディ 最後の使命』を考える時だろう。
| 17.04.14