trendseye
レンズスタイルカメラ
9月10日iPhone 5s とiPhone 5c が発売され、最初の3日間で世界で900万台を販売し、過去の記録を大きく更新した。歴代 iPhone の実績と比較すると、先代の iPhone 5 が500万台超、iPhone 4S は400万台超。今回は外見が大きく変わらない S 型番でありながら、低価格な iPhone 5c の追加と販売地域の拡大などが加わって、記録を大きく塗り替え過去最高の売上台数を達成した。その報道直後、株価は5%程度値を上げたものの、全体的には下げ基調で、独創的な商品を生み出してきたアップルに対して市場の期待は薄れている感が強い。iPhoneがコモディティ化の段階に踏み込んだことで、S.ジョブス亡きあとアップルのブランド力は狂い咲きだ。
一方、先日SONYから「レンズスタイルカメラ」が発表され、SONY久々の先進的商品として注目を集めている。デジタルカメラからレンズだけ取り出したような外観で、スマホの背面に取り付けて使うことができ、Wi-Fi 環境下ではスマホから離れて撮影することも可能。スマホではできない高画質・高倍率の撮影ニーズに応える狙いで開発されたものだ。Android、iPhone双方に対応しており、9月末からまずはヨーロッパで販売が開始され、10月25日に国内でも発売される。スマホ市場で存在感がアピールできると期待?されている。
考えてみると、「iWatch」や「iTV」と噂だけが先行するも、一向に新ジャンルに商品を出して来ないアップルに対し、SONYは「SmartWatch」、「SmartTV」を発売し、着々とスマホ+家電のコンビネーションの輪を拡大し、今回の「レンズスタイルカメラ」でますます新ジャンル創出の先手を打ってきた。iPadもSONYの「airboard」が原型だ。
「イノベーションのSONY」と言われて久しいが、どうしてこれ程良い商品を「これ程秘かに?」発表できるのだろうか?「iMac」も「iPhone」も「iPad」も、サムスンのスマートウォッチ「Galaxy Gear」もアイデアは他社からのパクリだ。SONYはメーカ独自の縦割り組織丸出しの商品開発で大損している。“マーケティング”と“ブランディング”を軽視しすぎてはいないだろうか?「Cyber-shot」はどこへ行ってしまったのだろうか?隣の部がやっていたりして・・・。
| 13.09.27
壇蜜的終活
7月に産経新聞出版から創刊された季刊雑誌『終活読本 ソナエ』」が、予想以上の売り上げで2回の増刷を重ねているという。「終活読本」とあるとおり、主に中高年向けに人生の終わりを迎えるための備えを、さまざまな切り口から提示するという雑誌だ。しかし、単なるハウツー本ではなく、日本人の死生観に迫る内容が関心を集めたようだ。
そして、記念すべき創刊号の表紙と巻頭は、葬祭の専門学校に通った経験のあるタレントの壇蜜が飾っている。壇蜜という芸名は、仏教用語で供物(くもつ)を供える場所を意味する「壇」と、供物そのものを意味する「蜜」を組み合わせたもので、 “お見事!”とも言うべき起用だ。とかく暗くなりがちなテーマを、いまもっとも旬なセクシータレントがかつて死に近い仕事をしていたということで、読者へのハードルを下げることにも成功している。
壇蜜も葬儀学校ではエンバーミングという遺体を保存・修復するための技術を学んだそうだ。神奈川県平塚市にある「エンバーマーコース」を持つ日本ヒューマンセレモニー専門学校への資料請求は、東日本大震災を境に1.5倍に増え、「葬祭ディレクターコース」の定員も増やしたそうだ。また、東京の巣鴨にある「葬祭マネージメント学科」を設置する駿台トラベル&ホテル専門学校も震災を機に志願者、特に高校卒業後すぐに入学を希望する人が倍増との事。
先日総務省統計局が発表した「高齢者」についての統計よると、65歳以上人口は3000万人を超え、高齢者の総人口に占める割合は24.1%で過去最高となった。ほぼ4人に1人が高齢者だ。その一方、死亡人口がピークを迎えるのは2036年で176万人と予測されている。1996年では人口1000人あたりの死亡率が7.2だったのに対し、2050年には15.1と死亡率も2倍以上となり、葬儀はそれだけ多くなる。高齢化社会は、若者の負担を増やすように言われがちだが、皮肉にもキャッシュリッチな高齢者の存在と死そのものが、若者の仕事を作り出すとも言える。
「年をとるということが既に、新しい仕事につくことなのだ。」とは、かのゲーテの言葉でもある。
| 13.09.20
Emperor
奈良橋陽子プロデュース、ピーター・ウェバー監督で、マシュー・フォックスが主演、トミー・リー・ジョーンズがマッカーサー総司令官役で出演した、終戦時の天皇制存続の秘話を描いた「終戦のエンペラー」が評判を呼んだ。
第二次世界大戦時の日本における天皇とは何だったのか、を考えさせる映画だ。日本映画がなかなか語れなかった天皇の客観的意味、又戦後日本統治の為に天皇制をアメリカが利用する経緯を、ピーター・ウェバー監督が実に中立的にうまく描き切っている。
論評には、マッカーサーの片腕ボナー・フェラーズ准将は日本を救った、昭和天皇は素晴らしい、これが日本の美点だ、涙が出た、など感情的なものが多いが、劇中の天皇自身は「罪は自分に有って日本には無い、自分は有罪でも日本は救って欲しい」、と核心をついた言葉を残している。
本来、天皇による帝国は敗戦によって昭和天皇を最後に滅びるはずだった。しかし、マッカーサーはその天皇制の存続と引き替えに、何も決められない日本を当時の首相 吉田茂、岸信介らと再建した。日本がアメリカの下僕となるDNAを巧みに埋め込まれたことも監督は示唆している。もし天皇制が敗戦で終結していたら、その後多くの犠牲は払ったかもしれないが、日本は自らの道を自分の力で決めて行く真の独立国家になっていったのでは?とピーター・ウェバー監督が問うているようにも思う。
国土が焼け野原になって敵国に支配されたら、1300年続いた帝国であっても終焉を迎えうることに誰が反論できるだろうか?ボナー・フェラーズの進言によって、日本は「敗戦」ではなく「終戦」に事態を置き換え、戦争責任を曖昧にした。"悪魔の取引"をした日本は、戦争責任を置き去りにしたまま、経済成長とその対価をアメリカへ貢ぐことで生きながらえる情けない国になったのではないだろうか?日中韓の全ての摩擦は、マッカーサーとボナー・フェラーズの仕込んだDNAによって起こっているとも言えるだろう。
オリンピックの招致成功は純粋に嬉しい。しかしその奥に、勤勉な日本人に更に資金を提供させようとするアメリカの経済的"罠"が無いことをただただ祈るのみだ。奇しくも吉田・岸両首相の孫が現日本の首相・副首相を務めている。これは偶然の一致なのか?!
| 13.09.13