古事記ロマン
日本最古の歴史書と言われている「古事記」が712年に編纂されてから、今年で1300年になる。神話の舞台となった宮崎、島根、兵庫県や編纂の地奈良県など古事記にゆかりのある各県は、観光客誘致につなげようと多彩なイベントを計画。関係者は「国を築いた先人の思いに触れ、元気を取り戻して」と話している。
古事記はもともと、最初に天皇を名乗ったとされる天武天皇(673年~686年)の「自分の王朝が正統である事を書いて欲しい」という思いのもとに編纂されたと言われている。したがって、要約すると“天皇はアマテラスの子孫である為、国を支配する資格を持つ”となり、天皇の存在を保証するための史書とも言える。その為、辻褄の合わない部分は“神話”という形で美化されている。古事記を編纂するにあたり、当然のことながら過去から伝わる歴史書は、すべて“焚書”された。しかし、大和朝廷の権威が届いていなかった地方や近隣諸国には、古事記よりも古い史書が存在し、それらをもって日本の古代史を読み解くことはまさにロマンだ。事実、中国大陸では後漢が滅びた220年から隋の成立する581年まで五胡十六国の戦国時代であり、この時代、西はペルシャのササーン朝から中央アジアの騎馬民族エフタルや突厥までもが中国大陸を横断し、朝鮮、日本にまで影響力を持っていた。日本はまだ天皇以前の“王”の時代であり、継体朝(507年~531年)から仏教伝来(538年)をはさんで、敏達朝(572年~585年)や聖徳太子(574年~622年)の登場など、不連続性が指摘される王朝が続く。六世紀の日本の王達は、支配者が定まらない大陸の様子からして、東アジアで日本を含む広域エリアの支配者だったと考えるのが自然だろう。しかも継体王はエフタル人、聖徳太子は西突厥人だったとも言われている。その後、日本は天武天皇、文武天皇の時代を経て、桓武天皇(781年~806年)の治世に平安京遷都(794年)を経て、独自文化を持つ安定した天皇制の国へと推移していく。
「古事記」を知れば知る程、六・七世紀までの日本は、西はペルシャから中央アジアまでをも支配した騎馬民族の末裔が「倭王」となるグローバル国家であったことが浮き彫りになってくる。日本各地の「古事記イベント」が日本人の中の騎馬民族のDNAを再び呼び起こし、若者に自らの血のルーツを知らしめるところまで踏み込むのかじっくり観察してみたい。
| 12.05.11